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昭和38年のいわゆる「サンパチ豪雪」の時、宍道湖が凍ってしまった。
子供たちに話すと信じないけれど、この写真を見つけてきて見せたら驚いていた。
ちなみにぼくもスキーを履いて氷で固まった宍道湖を歩いて渡った。 |
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彼女らが立っているあたりが、今の宍道湖大橋あたりか。
毎年毎年暖冬が続いていて、もうこんな風景にはお目にかかれないのだろうか。
(山陰放送報道カメラ写真集から) |
「赤山の火の玉」
昭和四十年頃の一中はご存知のとおり城山の北、赤山にあった。
当時何人かずつの生徒が校舎に寝泊まりして一泊二日の生活指導を受けるトレーニングセンターというのが盛んにおこなわれていた。
その折、中にはこんな体験をした同窓生がいた。
まずは I(旧姓)せつ子さんの昭和四十一年九月の日記から。
トレセン名物繁浪先生のお話の後、手洗いへ行っての帰りである。
三年四組の奥谷方面に向いた通用口の木戸の手前にエメラルドグリーンの火の玉がフワー、「全くスタッフの面々もいたずらがひどい」と二夕二夕して見ていた。
雨がしとしとふり、生ぬるい夜、あたりは静まり返っている。
火の玉は浮かんだまま、「デターー」真っ暗な廊下を全力で駆け抜け、本部に帰るとスタッフは素知らぬ顔で全員いた。
赤山は旧制中学の頃から幽霊話には事欠かないが、私の目の前で火の玉とは。
しかし美しいエメラルドグリーンであった。
H君、K君、私の三人はこの日私の家に集まり竹竿の先にーメートル余りの太目の針金を付け先にはまるめた布切れを付け灯油を染み込ませた。
それを持って雨の塩見縄手を歩いて夜の赤山に上がった。
布切れに火を付け校舎のかげからそっと差し出した。
そのときは誰かが見たという確信はなかったが、数日後「Iさんが火の玉を見た」という噂を聞き、三人が密かに成功を喜んだのは言うまでもない。
全くたわいの無い話であるが、いたずらがたわいの無い話ですんだ時代が懐かしい。
Y.K (松江一中五十年史より)
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