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農村の左義長
松江市農村部では、現在は一月五日から七日の間に行う所が多くなった。明治初期には次の行事が行われていた。
| 一、 |
宮庫を開き清掃し、門松、しめ飾りをし、神酒、鏡餅を供える。其の他地区によって種々の供え物をして、歳徳神の宮の前で鼕をたたき次に部落中をまわる。
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| 二、 |
カリヤ(又はグロ)という社殿になぞらえたものを、清浄な真竹や藁等で作り、その前へ神木を立てる。地区の人々は、その中へ入り焚き火で餅を焼き、小豆粥、又は小豆雑煮を作って歳神に供える。地区によっては二箇所作って争った。祭りが終わればカリヤは焼き払い、その時の火は神聖視された。 |
なお、神木の様式は、二本の竹をとりつけ、そこへ竹を骨にして紙を張り、彩色した大鯛二尾を鉢の字型にかかげ、大竹の先端へは大きな扇面(中央に赤で太陽を、左右に緑で三階松を書いたもの)をつけ、又、色紙を細く切ってつないたものや、短冊などをつけるのである。
鼕は二尺五寸(約七十五センチ)位な直径で、子どもが叩きながら地区中をまわり要所で盛んにたたく、時には夜間も叩いた。そして、左義長の当日まで叩き、当日は盛んに叩いた。これは、豊作を祈る行事の一つである。
地区によっては、鼕叩きと同時に子どもが、注連縄、御神札などを集め神木の所へ積み重ねる。
集めたものは、とんどの当日に“おはやし(焼く)”をして、燃え上がる火を見てドウドウとはやしたてる。
そして鼕も盛んにならし、書き初めが焼けて高く上がると習字が上達すると言って喜び、餅、大根、かぶらを焼いて、その餅を食べると風邪にかからぬといい、焼き大根・かぶらは霜焼けの薬にしていた。
こうした農村部の行事も、最近では次第に簡素化されてきている。特に都市周辺の地区では、多くは、歳徳神の前で鼕をたたき、地区の中をまわる行事となっているようである。
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