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はじめに
毎年十一月三日の文化の日に、松江祭協賛行事の一環として行われる鼕行列は、現在の形式になるまでには、幾多の変遷を経てきている。
昔、鼕をたたくという事は、神々をおなぐさめする行事の一つであって、豊漁豊作、一家の繁栄は、絶対に神が司ると信じていた当時は、その祭りも真剣で切実なものがあった。
この豊作を司る神、即ち、歳神(としがみ)または歳徳神(としとくじん)を、まつる行事は、東北地方や九州・四国に古風なものが残っているが、島根半島の北岸にそれと同様な風習が豊富に残っている。
松江市内の魚瀬(おのぜ)や近隣の雲津(こもづ)、御津(みつ)、片句(かたく)にも見ることが出来る。
これは、正月になると山の神が里方へ下って来られ、歳の神(または、田の神)となられる。それを家々へお迎えする行事で、家の床にまつるか、台所の恵比寿・大黒棚にまつる。
美保関方面では、納戸へまつる。
まず、木の枠を組み、その中へ御神体の「オマエサン」即ち、赤い布、扇子を飾り、その前に御神酒・鏡餅・小豆雑煮ほか海山のくさぐさのお供え物をしてまつる。
この祭りの仕方は、東南アジアの穀霊(こくれい)信仰につながるものとされている。
松江の鼕叩きは、この歳徳神信仰と左義長行事がもととなっているようである。 |
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